母の先祖は有名武将の陪臣の末裔で、ゆかりの品がいくつかあった→その中に誰も中を見たことが無い箱が一つあり・・・

1: 以下、名無しにかわりまして裏島哲郎がお送りします:2004/04/04(日) 04:44:44.44 id:Ur4Ma6T

これは、私が小学生のころの話です。

私の母の実家は北陸にあり、夏休みはほぼ毎年のように遊びに行っていました。
母の先祖は、戦国武将の織田信長の陪臣だったということで、家にはその先祖にゆかりの品がいくつかありました。
母方の祖父は、そういった品々には関心がないようでしたが、私の父は中学校の社会の教師ということもあり、そういった歴史を感じるものに興味をそそられるらしく、よく見せてもらっていました。

ある日、祖父母、父母、私の5人で朝食を食べているときでした。
父が飽きもせず骨董品を見ているという話題の時、母が「そういえば誰も中を見たことがない箱一つあった」と言い出しました。
祖父は、苦い顔をしながら黙っていました。

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しかし、父はその箱に、かなり興味を持ったらしく、その箱を見せてくれと頼みはじめました。
祖父は、どうやら中身がなんだか知っているようで、その箱を見せるのを嫌がっているようでした。
その日は、結局見せてもらえませんでしたが、父はその後も何度も頼み込んでいました。

その日も朝から、箱を見せてもらえるように頼んでいました。
祖父は嫌々承諾し、見せてもらえることになりました。
ただし、父だけで私や母には見せないということでした。
私は、元々骨董品には興味はないのですが、祖父があれだけ嫌がった品が何か見たいと思ったので、「えー、私も見たい」と言うと、
普段は孫に甘い祖父が怖い顔で「ダメだ」とそっけなく言うと父と蔵の中に入って行きました。
しばらくして帰ってきた父に「何だったの?」と聞くと、「『スヘイ』と言うものらしい」とだけ答えると後は黙りこんでしまいました。
その後、母はあの箱について話したことを、祖父にこっぴどく怒られたそうです。

その数年して、父と母は離婚してしまい(あの箱のことは特に関係はありません)、私は父に引き取られました。
そのため、母との思い出を話すことは意識的に避けていたのですが、この前、なにかの拍子にあの箱を見たときの話になりました。
父は「『スヘイ』とは『首杯(シュハイ→スヘイ)』と書くんだ」とだけ言うと結局、何が入っていたかまでは話してくれませんでした。

長かったですが、「首杯」という言葉がほんのり怖かったということで。

 

管理人
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頭部を盃にしたものは、一般的に髑髏杯と呼ばれますし、
(織田信長が朝倉義景と浅井親子の首を黄金の髑髏杯にしたってのはデマですよ)

首杯が何なのか気になるところですねぇ・・・

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ちなみに陪臣は、家臣の家臣、という意味です。

織田信長の家臣、木下秀吉の家臣、竹中半兵衛は

信長から見て陪臣になりますね。

直接主従関係がある家臣は直臣といいます。

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